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Sunday, September 3, 2023

台湾語の呼称をめぐる論争

日本語という名前は良くないから、「やまと語」にしろ、「ジャパン語」にしろ、という人は多くないでしょう。でも台湾では、台湾語を何と呼ぶかについて、未解決の論争があります。

一般的に、一番良く聞かれるのは、「台語」です。運動家たちの間でも、これを支持する人が多いです。日本では、これを和訳して「台湾語」と言っているわけです。しかし、これを公式の呼称にするのには、主に客家人たちから根強い反対があります。人口70%を占める泉州・漳州系台湾人だけが、「台湾のことば」を独占することに異議があるからです。

国民党系がよく使うのは「閩南語」です。中国福建の南部地域との関連を強調できるからです。ただ、福建南部では他の言語もいろいろ話されているし、広東省の潮州語も同系統なので、正確性に欠ける、という意見があります。確かに、厦門語や台湾語だけを閩南語と呼べば、この地域の他の言語の使用者は不満でしょう。また「閩」というのは、北方漢民族から見たこの地域の住民に対する蔑称なので、使うべきではないという人もいます。

ちなみに東南アジアでは、イギリス人宣教師の伝統に従い、この言語を「福建語」と呼んでいますが、同じ福建でも閩東語(福州語)や閩北語は、全く通じない別の言語ですので、上記の問題が更に深刻なことになります。なお、台湾人の間では、東南アジアの「福建語」と、言語的に90%以上共通である自分たちのことばが同じである、という認識がそもそも薄いです。これは別のトピックですね。

民進党政権が妥協策としてよく使ったのが「台湾閩南語」という呼び方です。いろいろある閩南語のなかの、台湾で使われているもの、という意味で私もこれが妥当だと思いますが、台湾語運動家から根強い反対があります。言語というより政治的理由で、とにかく中国との関係を切りたいということでしょう。政府の「台湾閩南語検定」に対抗して、「台語検定」を立ち上げてしまった団体さえあります。(ちなみに、この人たちは、華語からの借用語を激しく糾弾するくせに、日本語からの借用語にはなぜかとても寛容です。)

最近では、「中国」語を避けるために「台湾華語」にしたし、「台湾客家語」もあるので、それに合わせて「台湾台語」にすることが正式に決まりました。しかし、この訳わからない呼称が定着する可能性は低いでしょう。

スペインでは、カタロニア語とかガリシア語とか伝統ある言語がいっぱいあるのに、王室がある場所で話されているということでカスティーリャ語だけを「スペイン語」と言っています。たった70%ぐらいの台湾人のエスニック言語であるこのことばが、「台湾語」と呼ばれる無茶を許容していく方向しかないのではないでしょうか?「批判的」言語学系のかたは不満でしょうが、多数派の言語がリングア・フランカとして機能し、少数言語話者がそれにシフトしていくことは世界でよくあることです。(敢えてそれに逆らったインドネシア語などもありますが、成功例は多くありません。)日本時代以前でも、台湾西部の平地では、異なる言語のコミュニティ同士では台湾語が使われていた形跡があります。平埔族の母語が台湾語になっている所以です。そういう意味で、台湾各地で泉州系と漳州系が混ざって成立したこの言語を、単に「台語」(英訳:Taiwanese Hokkien)とするのが得策なのではないでしょうか?

Friday, August 4, 2023

マレーシア人の言語

 マレーシア人の半分以上はマレー人、残りは中華系、インド人、欧州系などです。一般人の感覚としては、ムスリムであればマレー人と認識されるようです。マレー人は主に田舎に多く住んでいて、大都市では中華系が多数です。

マレー人以外で、家でマレー語を話している人はほぼいません。それで、都市によって、主要な言語が違います。例えば、クアラルンプールの街なかで一番良く聞くのは広東語、ペナンでは福建語(台湾語とほぼ同じ)、シブでは福州語(福建語と全然違う)、コタキナバルでは客家語、という具合です。

例えばクアラルンプールでは、自分の家庭で話す言語が英語であれ、潮州語であれ、外で知らない人と話す場合は広東語で、となります。ただ、福州語や海南語など、割りとマイナーな言語がメインの都市では、若い世代を中心に、華語(北京語)で話していることが多くなっています。華語は学校の授業の媒介語だし、話し言葉と書き言葉が一致しているからです。

このような言語の違いを、一般のマレー人はあまり認識していません。「中国人だから、中国語で話しているんだろう」ぐらいに思っている人が多いようです。

なお、インド系の人たちは、特に都市部では、お隣のシンガポールのように、家庭でも英語を話している人が多いようです。

こういうのは、実際に行って聞かないと、本当のところはわかりません。アンケート調査などをしても、社会的通念や、ナショナリズムが暗に求める建前を答えてくることが多々あります。

ここまで書いたのは、話し言葉のことです。読み書きになると、中華系の場合、中国語学校出身の場合は中国語で、マレー語学校(旧英語学校)出身の場合は英語で、ということになります。プラナカンという、古くから現地化した少数の華人は、上の世代はもっとマレー語を使っていたようですが、今は英語がメインです。中華系で、読み書きはマレー語でするし、マレー語新聞をとっている、というマレーシア人を私はまだ見たことがありません。

そんなわけで、華語も広東語も、ひいては英語もマレーシアの公用語ではありませんが、マレーシア人同士でこれらを使って話しているのは普通です。言語的には、マレー語のマレーシアとそれ以外のマレーシアが、同じ国土に共存しているような感じです。

Sunday, July 17, 2022

金門島の閩南語についての補考

インターネットによると、市場をpa-satと言ったり、お金をlúiと言うらしい。これはシンガポールやマレーシアなど、南洋の福建語と同じ。ただ、今の若い世代が使うかどうかは不明。台湾閩南語の影響を受けてchhài-chhī-á, chhîⁿと言うようになるのか、それとも馬祖のように完全に北京語にシフトするのか、今後の動向が注目される。

Saturday, July 16, 2022

国立台湾博物館

明治41年に児玉源太郎と後藤新平の記念館として建てられた、国立台湾博物館。日本時代の総督府博物館の所蔵を受け継いでおり、日本の自然科学者や人類学者達によって収集された、台湾研究の展示品を見ることができる。展示品はもとより、美しいヨーロッパ式の建築物そのものを参観するのが目的で訪れていると思しき方々も多く見受けられた。地下には、子どもたちが遊びを通して台湾への理解を深めることができるエリアがある。以前、台北に20年ほど住んでいたとき、一度も訪れたことがなかった。灯台下暗し。6月中旬の大雨の日に訪れた。












鉄道博物館

日本時代の大正8年に完成した旧鉄道部は、現在、鉄道博物館となって公開されています。録音とはわかっていても、ガタンゴトン、踏切の音、駅のアナウンスなどを聞くと興奮しますねえ!日本時代をはじめ(朝鮮の王様と昭和天皇が乗ったお召し列車のエンブレムもあります)、台鉄になった後の展示品も充実しています。児童が遊びながら鉄道の仕組みを学ぶエリアで、非常に珍しく台湾語で会話している子供たちと若いママたちを見かけました。近所には三井物産の旧倉庫を、人文やフェミニズム文学をテーマにしたカフェにリフォームした場所もあります。6月中旬、とても天気が悪い日に、国立台湾博物館(旧後藤新平記念館)を訪れたついでに参観しました。










台湾歴史博物館の親日バイアス?


This post is in Japanese and may have been inaccurately machine translated into your language. 4月に台南へ出張した際、ついでに台湾歴史博物館を訪れました。北に故宮(中華文化の殿堂)あれば、南に台歴博(台湾本位の殿堂)、です。展示はスペイン、オランダ時代から始まり、地理的台湾を中心にしたナラティブです。仕事でちょっとアフリカーンス語を習ったので、オランダ語の史料が興味深かったです。全体的には、日本時代がポジティブな黄金時代だったかのような印象を受ける展示です。日本時代は記憶が新しいので、史料が多いのはわかりますが。抗日運動や先住民虐殺事件などについては、日本側の記録と住民側のパースペクティブが並行的に展示されていて、そこはバランスが取れていると思いました。ところが戦後については、国民党の一党独裁による土着文化弾圧と、それに対抗する民主化運動の貢献がとても簡潔に展示されいるだけで、そこはバランスが欠ける、と感じました。私は台湾史の専門家ではなく、またセンシティブな内容なので、個人的な感想を投稿しようかどうか迷いましたが、せっかく台湾で過ごした時間の記録として残しておくことにしました。参観後、新幹線の駅に行ってみると、大停電が発生し大変な混乱でした。長栄中学に頂いた重い史料を担いだまま長時間立たされ、手のしびれが数週間続きました。長年生活した経験からいうと、台湾はとても効率的な社会で、こういうことは珍しいです。




























Wednesday, July 13, 2022

中華民国だけど台湾でない金門島

This article is in Japanese. If you are not reading it in Japanese, it may have been inaccurately machine translated. 台湾に戻ったあとの隔離が必要ないとのことで、6月上旬に福建省の金門島に行って来ました。中国アモイ市からたった1.8キロという、中華民国統治の最前線です。

レンタカーのラジオをつけると、早速中国のラジオ局がビンビンで入ってきました。金門島側のラジオ局は、銘伝大学金門キャンパスの学生が運営している小型FM局などしかありません。

海岸からはアモイ市の高層ビル群が肉眼で見えるし、目と鼻の先に見える小島も中国領です。

1979年までは毎奇数日に人民解放軍の空襲があり、旧日本軍の顧問も迎え多数の死者を出す壮絶な防衛をしてきた軍事要塞の島ですが、1992年に戒厳令が解かれ、中華民国軍も大部分が撤退して、軍事要塞だったところは、テレサ・テンなどゆかりの観光地になっています。福建南部式の極めて美しい古民家を改造したホテルやカフェも人気です。

島民の生活維持は中国側からのパイプ送水に頼っており、選挙では親中派の国民党と新党しか勝ったことがありません。住民の殆どは、海峡の向こうの遠い台湾より、目と鼻の先にあり経済的に発展している中国との統一を望んでいるということです。

一方、道路や建物などのインフラは、台湾からの投資によるもので、セブンイレブンやファミマ、ビンロー屋台やタピオカドリンク店が林立する街や道路の佇まいは、台湾の地方都市と全く変わらず、「台湾の植民地?」という言葉さえ思い浮かびます。ただし税制が台湾と違うので、空港や街なかに免税品店があります。最近では台湾からの不動産投資も増加し移住者も増え、地価が上がっているそうです。 

地元の言語は閩南語で、台湾語とほぼ同じです。同安なまりで、澎湖島のものと似ており、台北盆地や新竹市の訛りとかなり近いです。ただし、台湾語に大量に存在する日本語からの借用語がありません。台湾と違い、長期の日本植民統治を経験しなかったためです。

土地が痩せている金門は神戸、マニラ、ブルネイ、シンガポール、マレーシアなどに大量の華僑を送り出してきましたから、これらの地で話される福建語には、金門語の特徴が残っている可能性があります。

教育制度は台湾と同じため、学校では台湾から来た教員により「台湾閩南語」が教えられており、これが地元の閩南語と異なるということで問題になっています。

ただ、戦後、中華民国軍関係者の人口が地元民を何倍も上回る状態が長年続いたため、金門では北京語(台湾華語)が非常に普及しています。学校で「台湾閩南語」の授業がなければ、子どもたちはそもそも北京語のモノリンガルでしょう。この北京語は台湾のものと全く同一で、言葉だけを聴いて台湾人と金門人を区別することは不可能と思われます。












Monday, June 13, 2022

台湾語の第一優勢腔とイギリス英語の並行性

This post is in Japanese. If you are reading this in any other language than Japanese, it may have been machine translated automatically and may be inaccurate. 

日本や台湾、韓国におけるイギリス英語は、台湾における台湾語第二優勢腔と並行しています(状況が似ています)。

歴史的背景から、第二次世界大戦後の日本や台湾、韓国の学校教育では、アメリカ英語が標準となっており、特に台湾と韓国では、イギリス英語の綴や発音は誤りとして減点の対象になります。

ところが、上記以外のアジア諸国では、学校教育で標準とされているのはイギリス英語であり、辞書や参考書も、もっぱらイギリス英語を正しいものとしています。グローバル化によって、東アジア3国でも、アメリカ・フィリピン以外のイギリス英語を標準とするアジア諸国との交流が増えたし、南アフリカやニュージランド出身の先生も少なくないので、イギリス英語も、それが通用している国から来た人が使っている場合は、なんとか許容されることが多くなってきました。特に、日本ではイギリス英語への許容度は割と高いようです。

一方、台湾語で、中華民国教育部が辞書や文法書、小学校教科書などで正書法としているのは、高雄、屏東、台東などで、泉州訛りと漳州訛りが混合し、どちらかというと漳州訛りに近い「台湾第一優勢腔(俗称南部訛り)」です。これは、伝統的には歌仔戯で使用され、今では北京語を母語とする若いテレビのアナウンサーが、台湾語で放送する前に訓練を受ける変種です。今、台湾で外国人が台湾語を学ぼうとすると、この第一優勢腔が教えられるのが普通だと思います。火鶏をhóe-keと、生をseⁿと発音する変種です。(なお、日本では、戦前からの台湾語研究の積み重ねにより、後述する第二優勢腔を採用する教材が多いようです。)

もう一つの第二優勢腔は、俗に「台北腔」とも呼ばれ、台北市中心部の旧市街のもともとの変種です。泉漳混合の中でもどちらかというと泉州寄りで、中国のアモイ市の変種とほぼ同じです。火鶏をhé-koeと、生をsiⁿと発音します。市街地の閩南人の混ざり方の比率がアモイと似ているのが一つ、そして英国人宣教師による長老教会の聖書がアモイ語を採用しており、日本時代からエリート層がアモイに留学することが多かったのももう一つの理由だと思います。

さて、イギリス英語と第二優勢腔の共通点です。まずひとつは、第二優勢腔は現在の台湾ではマイナーな変種だということです。教育部の辞書などは、一応両方の発音が出ていますが、教材の作成など、どちらかを選ばなければならないときは、必ず第一優勢腔が採用されます。外国人の台湾語にもこれを期待するようで、私は時々台湾人に「あなたの台湾語は台北訛りになってしまっている」と言われます。(もともと台北訛りであるにも関わらず。)

もう一つ似ているのが、アメリカも台湾南部も、広範囲で同じ変種(General Americanと第一優勢腔)が話されているのに対し、イギリスも台湾北部も、ちょっと移動すると全く異なる変種が話されているという点です。イギリスに方言がとても多いのは有名ですが、同じ台北盆地でも、市街地の北西のほうは同安訛り、士林の旧市街は漳州訛り、木柵のほうは安渓訛りなどと、狭い範囲でいろいろな訛りがあります。高雄から屏東、台東までほとんど訛りが変わらないのと対象的ですね。

台湾独立に傾いている思想からすると、なるべく中国とは遠い台湾独特の発音を標準として採用したいという思惑があるだろうし、またアメリカ英語のGeneral Americanのように、広い地理的範囲で平均化(コイネ化)して、癖のある発音がなくなっている変種が、標準化するには適している、という事情もあるようです。

私が今滞在している台北市で、ホテルの部屋を修繕している大工さんが、自分の家族と私語をするときは第二優勢腔だったのに、客と話をするときは突然第一優勢腔にスイッチしました。また、テレビの番組で、かなり強い泉州訛りがあるはずの鹿港の人でも、全国ネットにインタビューされると第一優勢腔にスイッチしています。これは完全に無意識だと思います。日本人が目上の人の前に出れば自然に敬語が出るのと同じです。すでに台湾人の意識の中に、「公共の場で台湾語を話す場合は第一優勢腔」という考えが、無意識にインプットされているのかもしれません。

 

Wednesday, April 20, 2022

台湾手話と日本手話

 先日、台湾新幹線の車内雑誌で読んだのですが、台湾手話は日本手話と基本的に同じだそうです。台北の手話は東京弁に基づき、高雄・台南の手話は大阪弁に基づいているそうです。日本統治時代に台北の聾学校は東京から、高雄の聾学校は大阪から教員が派遣されたからだそうです。なので現状では、台湾手話と日本手話で、かなり話が通じるそうです。

現在、台湾の言語学者が、台湾手話の開発・普及を図っているそうです。日本語とシナ・チベット語族言語(中国語)では語順が違うので、後者の語順にあったのものにするそうです。また、現状で異なっている、台湾北部と南部の手話方言を統一するそうです。台湾でも役人の記者会見など、必ず手話通訳がつくようになっています。一般に普及させるためには、中国語の語順であることは大切でしょう。

Sunday, April 17, 2022

台湾語は復興できるか?難しいと思える5つの理由

 ここでは復興すべきか否か、ではなく、できるかどうか、を語ります。

言語が単なる学校の科目の一つになり、スピーチコンテストや民謡などで使われるが、家庭内の第一言語ではなくなることをフォークロア化と言います。一見、文化として尊重されているようですが、言語の活力は回復の見込みがないほど削がれています。シニカルな見方をすれば、中央の主要言語使用者側は、もう復興の可能性がなさそうだから、教育や文化活動などに予算を割いてプロモートしても大丈夫だ、と思っていることになります。例を挙げるとフランスのブルトン語や、日本のアイヌ語などです。記念館を建てて歌や踊りや昔話を披露したり、バスの駅名アナウンスを〇〇語にしたり、人気アニメの〇〇語吹替版をYouTubeにアップしたところで、もう生活言語として復興の見込みはありません。台湾語がそうなる、と言うと「エー」と言われそうですが、そうなると思います。「国民党政権の迫害で台湾語は廃れた」という台湾人は多いですが、実は、1991年に小学校で台湾語が教えられるようになって以来30年の間、台湾語の衰退は加速しています。台湾語復興の可能性はあるのか。残念ながら、私は否定的です。その理由は:

  1. 強力なイデオロギーを持っている人しか、保存のために動いていない。
  2. その強力なイデオロギー故、学者同士でコンセンサスが成立しない。
  3. 復興の為に必要な、一種類の権威ある方言を選んで標準化し、教育やメディアを通してそれを普及させるというやり方自体が、彼らが長年反対・抵抗してきたもので、自己矛盾している。しかも民主的で価値観が多様化した台湾では実行不能。
  4. 台湾では、各エスニックグループに公平な共通言語としての北京語の価値が存在する。
  5. 台湾語と台湾アイデンティティが乖離している。
理由その1
イディッシュ語復興に尽力したユダヤ系社会言語学者Fishmanは、言語復興には強力なイデオロギーが前提だ、と言いました。相手が誰であれ台湾語で押し通し、自分にとっても不便なのに子供と台湾語だけで話すようにしている;そういう人は、とても強いイデオロギーを持っている人で、少数派でしょう。台湾はは優しい人が多いので、相手に不便を強いてまで自分のイデオロギーを優先させるラジカルな人はあまりいません。

常識的な親は実用性を優先しますが、実用性で決めるなら北京語を取るに決まってます。実際、台湾語よりむしろ英語のほうが大事だと考える親が圧倒的に多いことが、度々の調査でわかっています。民主化以降台湾語が学校の科目になり、歌や昔話が教えられていることに満足しているので、家庭では自分の子供と北京語で話す。そういう人が普通ではないでしょうか?その結果は、台湾語ができない、新しい世代の台湾人です。

理由その2
台湾語が普及して、「実用性がある」言語にならない原因の一つが、学校で教えられているローマ字表記法が何度も変わったことです。(ただでさえ、台湾の人々は漢字に価値を感じているので、ローマ字を軽視する傾向があります。)上記の強いイデオロギーを持った学者たち一人ひとりが、自分が長年かけて整理した表記法に強いこだわりを持っているので、お互いに妥協して一つの標準語法を決め、全国に普及しよう、ということが実現しません。例えば、台北の中華民国教育部が「台湾閩南語検定」というのをやっているのに、台南の成功大学はそれに対抗して、独自に「台語検定」をやっているという有様です。こうした背景から、外国人宣教師が教育を通して普及を図り、多くの辞書や出版物の蓄積のある「教会ローマ字(白話字)」は採用されず、却って誰にとっても学び直しが必要な使いにくいローマ字が公式に採用されているのが現状です。

ところで、ここまで無批判に「台湾語」と書いてきましたが、言語の呼称そのものに、非常に激しい論争があります。「福建語」はさておき、「台湾閩南語」、「台語」、「ホーロー語」、「ホクロー語」、そのいずれに対しても、様々なイデオロギーから目くじらを立てて怒る専門家がいるはずです。それだけに、私はここではあえて俗称の「台湾語」、「北京語」を使っています。

理由その3
次の問題が、立場の自己矛盾です。台湾語を正式な場合を含め、生活のいろいろな分野で使用される言語として普及させるには、標準化が必要です。つまり、数ある台湾語の方言の中から権威ある誰かが一種類を選び、その方言で辞書、文法書、ローマ字などを作り、学校やメディアで使用させ、それ以外の変種を排除することです。言い換えると、総督府が日本語を、国民党が北京語を台湾で普及させるために行った高圧的な手段です。ところがこれこそが、台湾語復興を叫ぶ台湾ナショナリストや民主化運動などが嫌い、抵抗してきたやり方です。

そもそも、民主化して久しく価値観が多様化した今の台湾では、過去の国民党政権や、もしくはシンガポールで福建語や広東語などを排除し英語と北京語を普及させたような権威主義的なやり方は、まず現実的じゃないでしょう。

或いは、「日本語や北京語は外来言語だから押し付けは悪だが、台湾語は本土言語だから善」と彼らは主張するかもしれません。しかし、それを言うなら台湾語も福建から来た外来言語です。「すでに台湾本土で変容したから外来言語ではない」と論じるなら、北京語(台湾華語)も本土言語、ということになり、議論が堂々巡りです。例えればインドやナイジェリア、フィリピンなどにおける英語をめぐる論争に似ていますね。「台湾のナショナリズムは善だが、中華ナショナリズムは悪」となってくると、もうほとんど人種差別の世界です。

理由その4
次に、見落とされがちなのが、本土言語の衰退と反比例する北京語の普及の原因のもうひとつは、北京語に何か台湾の人々にとって有益な面があったからです。台湾全土で問題なく通じるリンガ・フランカの登場は、北京語が初めてです。台湾語は、閩南系以外から見れば他人の言語だし、かつて教育を受けた台湾人の共通語だった日本語は、シナ・チベット系言語からかけ離れています。昔と違って人々の移動往来や異族通婚が多い現代台湾は、共通語がなかったら機能しないでしょう。「歴史上の事故」から、その言語は北京語、しかもすでに台湾現地化した北京語だったわけです。そのような役割を台湾語に負わせようとすれば、人口の30%以上を占める非閩南系から抗議が出るでしょう。この点もフィリピンやインドの英語と似ています。

理由その5
上で書いたように、家庭が台湾語を選んでいないわけですが、各種調査によると、人々はこれを好意的に受け止めていません。祖父母と孫が共通の言語を持たないことは台湾では珍しくありませんが、誰もこれを良いことだとは思っていないでしょう。「台湾語で台湾アイデンティティを伝承することは理想ではあるが、実際には北京語や英語のほうが有用なので、仕方がないが後者を優先している。」これが多くの台湾人の本音かもしれません。ならば、Fishmanが提唱したように、台湾アイデンティティをもっと鼓吹すればいい、ということになり、現に民進党政権もそれを目指しているのでしょう。ただ、これがなかなか効かなくなってくる要因があります。それは、台湾アイデンティティと台湾語の乖離の現象です。民進党の指導者蔡英文総統がほとんどの公式発言を北京語で行っているように、台湾化した北京語は、すでに今日的台湾人の文化や思想を十分に表現しうる媒体になっています。しかも、人口7割以下を占める多数派・閩南系だけのものではありません。

ここまで書くと、今後は台湾語よりも、台湾独特の北京語が台湾の主要言語であり続けることが間違いないと感じますね。しかも過去の権威主義的言語政策の「後遺症」で、標準化・文字化が完成しています。東京と同じように、台北の本屋に入れば、人々が街で話しているのと同じ言語で書かれた本がわんさか並んでいます。これは、アジアではとても稀有な状況です。マニラやクアラルンプールの本屋に入ったら、売っているのはほとんど現地語ではなく英語か中国語の本です。

ただ、フォークロア化した行事やテレビ番組、教育活動は続くでしょう。また、北京語ベースの発話の中に、ある効果を期待して台湾語の語彙を散りばめる、ということはよく行われているし、今後も続くでしょう。

ところで、北京語使用の弊害も認識されています。もし、人々の主要言語が、巨大な隣国、しかも一党独裁で言論の自由がなく、なおかつ圧倒的な文化的コンテンツ発信国が使用しているのと同じ言語だったら、どうなるでしょうか?そのリスクを回避すべく、現在民進党政権により行われている英語化政策(バイリンガル国家2030政策)の目的は、英語で以て北京語を交換することを含む、とも考えられます。これについては、また別に書くことにします。


Sunday, April 10, 2022

日本語が「国語」になった場所

 日本語が「国語」として意識されるようになったのは、1895年に台湾が割譲されたのがきっかけだという説があります。日本各地から集められた6人の先生が「国語伝習所」という小学校(現台北市立士林国民小学)を始めたのが、ここ銘伝大学のすぐ近くの芝山岩です。先生たちは翌年には抗日ゲリラに殺害されたのですが、後には芝山岩神社と伊藤博文が揮毫した石碑が建てられたそうです。戦後は士林国民小学の卒業生により、「六氏先生の墓」が建てられました。この芝山岩、もともとは士林の福建漳州人と万華の福建泉州人が戦ったときに前者が立て籠もった戦場で、その死者たちを祀った祠もあります。(もともと士林街はこのすぐ脇だったのですが、泉州人に焼き払われたので文林橋の南側に移転しました。)今は自然が豊かなハイキングコースになっていて、沿道の案内板表示されているのは、専ら自然生態の案内ばかりで、漳泉抗争や抗日ゲリラなど、歴史関係の掲示はほとんどありません。







Friday, December 31, 2021

Is Taiwanese Hokkien a non-colonial language? 台湾語は非植民言語か?

I've heard some people classify Taiwanese Hokkien (hereafter Hokkien), Hakka, and Austronesian languages as local or indigenous languages, and Japanese and Mandarin as external or colonial languages. (It is interesting why English is not included in the list of colonial languages, but that is a topic for another blog post.)

So, is Hokkien really a non-colonial language?

Today, most people who have grown up in households where Hokkien is spoken identify themselves as Taiwanese or Holo. 

But if we look at history, we find that there were also Teochew and Hokchiu people in pre-Japanese Taiwan. The former is remotely related to Hokkien, while the latter is a totally different language. Tamsui, the English name for the port town in northern Taiwan, is a transliteration of the Hokchiu sound. Those people assimilated into the Hokkien mainstream, abandoning their original languages.

Also, it is well-known that Pepo tribes, e.g. Ketagalan, Kavalan, Siraya, etc., have shifted linguistically from their original Austronesian languages to Hokkien.

The same kind of shift is happening right at this moment. More and more Taiwanese people are adopting Mandarin as their dominant language, through which they express their Taiwanese identity and sense of belonging. As the government is pushing forwards its Bilingual Nation 2030 (BN30) policy, there may even be a further shift from Mandarin to English several decades down the road.

So, is it fair to say that Mandarin is a colonial language in Taiwan while Hokkien is not? Well, I think it's fairer to say they both are "colonial" languages if you insist on using that term.

台湾閩南語(台湾語)や客家語、オーストロネシア諸語などを土着言語、日本語や華語(北京語)を「植民(外来)言語」と分類する人がよくいる。(なぜ英語が植民言語として槍玉に挙げられないのかが興味深いが、それは別稿に譲ることにする。)

台湾語は本当に非植民言語なのだろうか?

今日、台湾の台湾語が話される家庭で育った人はたいてい、自分が台湾人、つまりホーロー人であると考える。

しかし、歴史を紐解くと、日本統治以前の台湾にも少なからず潮州人や福州人がいたことがわかる。前者は台湾語と遠戚関係にある言語で、後者は全く異なる言語である。例えば、台湾北部の港町の英語名Tamsuiは、福州語読みである。さて、この人達は、やがてもともとの言語を放棄し、主流台湾語(ホーロー人)に同化した。

また、よく知られているように、平埔族(例えばクタガラン族・カヴァラン族・シラヤ族など)は、オーストロネシア系の言語を放棄し、主流台湾語にシフトした。

同じようなことが、今目の前で起こっている。多くの台湾人が、北京語にシフトして、その台湾化した北京語(台湾華語)を通して、台湾のアイデンティティや帰属感を語るようになっている。現在、政府は「2030年バイリンガル国家政策」を推めているが、数十年後は、同じようにシフトが今度は英語に向かって起こっているかもしれない。

そういうわけで、「台湾語は土着言語、北京語は植民言語」という考え方は成り立つのだろうか?少なくとも、「植民〇〇」という用語にこだわるのなら、「台湾語も北京語も植民言語である」と言ったほうが正しいかもしれない。

Sunday, December 19, 2021

台湾語の死と台湾華語による台湾アイデンティティの継続

 あと25年ほどで、台湾語は死ぬと思う、日常的コミュニケーション言語としては。主な理由は、家庭で親が子供に北京語で喋っているからである。今、9割以上の台湾の家庭で北京語が話されており、台湾語が話せる子供は、7%強ぐらいだと言われている。台湾語が不自由に話せるのは、ほとんど中高年以上の世代である。彼らも25年後には引退する。

「国民党のせいだ」という人が多いが、台湾語が学校の科目になり、政府が台湾語保護のために大量の税金をつぎ込むようになってから30年経っている。台湾語話者自身が、劣勢を挽回するチャンスをのがしたことに他ならない。

イデオロギーにかられて台湾語保護を叫ぶ活動家たちは親を責めるが、子供の将来の為を思う親心を責めてはいけない。その活動家自身も、意外と家では自分の子供と北京語で話しているかもしれない。

ただ、仮に家庭で子供と台湾語を話していれば、北京語=Hコード・台湾語=Lコードというダイグロシアが成立していたはずである。しかし、学校で他の子供に遅れをとってはいけない、という親心で、台湾の親たちは誰にも強制されることなく、子供と北京語で話すという選択をしたのである。

もっとも、宗教行事や一部の業界など、特殊な分野では生存するだろう。今日、台湾語ミサに参加したが、多くの人は実は北京語ミサのほうが慣れている。聖職者は北京語で考えた説教の原稿をその場で台湾語に訳しながら発言しているし、信者さんたちはミサは台湾語でがんばって参加して、終わったあとは北京語でおしゃべりしている。(南部のある教会でミサに参加した時は、ミサ自体は北京語で、説教の一部だけを北京語が不自由な年配者たちのために台湾語で行う、という方式だったが、そういう年配者がいなくなれば全北京語になることが予想される。)伝統的な市場では、売り手と客が市場のリンガ・フランカである台湾語でやり取りをしているが、横にいる自分の家族とは北京語で話している。アイルランドでのアイルランド語のように、学校で習うけど普段は使わない、アイデンティティの象徴になるだろう。

また、海外在住者の間では、台湾在住時は主に北京語を使っていたにもかかわらず、海外では中国大陸出身者と混同されるのを避けるため、わざわざ台湾語を使用する事象も見受けられる。マレーシア広東語区域以外出身にも関わらず、台湾留学中はわざわざ広東語を使うマレーシア人と似ている。

北京語ベースで、挨拶や一部の語彙など台湾語を交えるコードミキシングは続くだろう。生活用語としての台湾語が死んでも、台湾化した北京語(台湾華語)を通して、台湾アイデンティティは存続するだろう。新潟の都市部で新潟弁は凋落したが、新潟風の共通語が話されているのと似ている。

植民地時代の日本語を除けば、全台湾サイズのリンガ・フランカが出現したのは、経緯はともあれ北京語が初めてである。台湾大のナショナリズムが出現すれば、その媒介言語は北京語となることが自然である。現にそうなっている。

旧ソ連や東欧では、東側ブロック崩壊後、ロシア語はリンガ・フランカとしての価値は無視されて凋落したが、台湾では客家や原住民からの異議があるので、台湾語が北京語と取って代わることはないだろう。

目下の「バイリンガル政策」による英語の普及が台湾語のさらなる凋落をもたらすという意見をよく聞くが、学齢児の間では、台湾語がそもそも生活言語として機能していないので、影響はないだろう。

Friday, December 17, 2021

懐古趣味?

 大正時代の街並みを復刻した商店街の一角に、台湾人の手による、日本統治時代を懐かしむような商品がいっぱい並んでいます。近くには、日本統治時代をテーマにしたブックカフェもありました。「認識台湾」が学校の教科になって四半世紀近く経つので、まさか「国民党の中国中心の地歴教育によって、若い台湾人が台湾について何も知らないことに対する反動」でもないでしょう。懐古趣味は理解できないでもないが、ほとんどの台湾人にとって日本時代よりも今のほうが、よっぽどいい生活ができていると私は思うが。

先日、世界最大の書店の一つを訪れたときも、台湾史のコーナーに、日本時代に関する本がわんさかあるのはもちろん、オランダ・スペイン統治時代に関する本もいっぱいあるのに、清朝時代に関する本があまりにも少なくて驚いた。マッカイ牧師の回想録などを読むと清朝時代をあまり思い出したくない台湾人が多いのはわかるが、それにしても、日本・オランダ・スペイン時代はたったの数十年、清国統治は200年以上。故意に無視しようとしているのかと勘ぐりたくもなるが、ただ市場的に、売れないから書かない、置いてない、ということなのだろう。





Sunday, November 28, 2021

復刻された大正時代の新北投駅

台北メトロの新北投駅の隣に、日本時代の駅舎を復刻した施設があり、内部には鉄道に関する展示があります。以前新潟国際大学で公演を行った台湾人宮大工の方が、再建に携わったそうです。昔のガチャガチャなんかがありました。プラットフォームにはには客車があり、その内部で北投の温泉文化に関する展示があり「流し(台湾語でナカシ)」という温泉宿を回って客の歌の伴奏をする演歌バンドの紹介をする動画が放映されていました。流しのミュージシャンたちの間では、台湾人客にわからないように日本語の言葉を逆さ読みにする暗語があると言っていて、興味深かったです。カラオケ機器が普及してからは、廃れたそうです。そういえば、何年も前に義父の誕生日を北投の温泉旅館で祝った時、ナカシが呼ばれていて、何か歌わされたことがありました。温泉に入る時間がなかったので、入り口にある手湯で我慢しました。結構熱かったです。夜までお肌スベスベでした。手だけ。