Sunday, April 17, 2022

台湾語は復興できるか?難しいと思える5つの理由

 ここでは復興すべきか否か、ではなく、できるかどうか、を語ります。

言語が単なる学校の科目の一つになり、スピーチコンテストや民謡などで使われるが、家庭内の第一言語ではなくなることをフォークロア化と言います。一見、文化として尊重されているようですが、言語の活力は回復の見込みがないほど削がれています。シニカルな見方をすれば、中央の主要言語使用者側は、もう復興の可能性がなさそうだから、教育や文化活動などに予算を割いてプロモートしても大丈夫だ、と思っていることになります。例を挙げるとフランスのブルトン語や、日本のアイヌ語などです。記念館を建てて歌や踊りや昔話を披露したり、バスの駅名アナウンスを〇〇語にしたり、人気アニメの〇〇語吹替版をYouTubeにアップしたところで、もう生活言語として復興の見込みはありません。台湾語がそうなる、と言うと「エー」と言われそうですが、そうなると思います。「国民党政権の迫害で台湾語は廃れた」という台湾人は多いですが、実は、1991年に小学校で台湾語が教えられるようになって以来30年の間、台湾語の衰退は加速しています。台湾語復興の可能性はあるのか。残念ながら、私は否定的です。その理由は:

  1. 強力なイデオロギーを持っている人しか、保存のために動いていない。
  2. その強力なイデオロギー故、学者同士でコンセンサスが成立しない。
  3. 復興の為に必要な、一種類の権威ある方言を選んで標準化し、教育やメディアを通してそれを普及させるというやり方自体が、彼らが長年反対・抵抗してきたもので、自己矛盾している。しかも民主的で価値観が多様化した台湾では実行不能。
  4. 台湾では、各エスニックグループに公平な共通言語としての北京語の価値が存在する。
  5. 台湾語と台湾アイデンティティが乖離している。
理由その1
イディッシュ語復興に尽力したユダヤ系社会言語学者Fishmanは、言語復興には強力なイデオロギーが前提だ、と言いました。相手が誰であれ台湾語で押し通し、自分にとっても不便なのに子供と台湾語だけで話すようにしている;そういう人は、とても強いイデオロギーを持っている人で、少数派でしょう。台湾はは優しい人が多いので、相手に不便を強いてまで自分のイデオロギーを優先させるラジカルな人はあまりいません。

常識的な親は実用性を優先しますが、実用性で決めるなら北京語を取るに決まってます。実際、台湾語よりむしろ英語のほうが大事だと考える親が圧倒的に多いことが、度々の調査でわかっています。民主化以降台湾語が学校の科目になり、歌や昔話が教えられていることに満足しているので、家庭では自分の子供と北京語で話す。そういう人が普通ではないでしょうか?その結果は、台湾語ができない、新しい世代の台湾人です。

理由その2
台湾語が普及して、「実用性がある」言語にならない原因の一つが、学校で教えられているローマ字表記法が何度も変わったことです。(ただでさえ、台湾の人々は漢字に価値を感じているので、ローマ字を軽視する傾向があります。)上記の強いイデオロギーを持った学者たち一人ひとりが、自分が長年かけて整理した表記法に強いこだわりを持っているので、お互いに妥協して一つの標準語法を決め、全国に普及しよう、ということが実現しません。例えば、台北の中華民国教育部が「台湾閩南語検定」というのをやっているのに、台南の成功大学はそれに対抗して、独自に「台語検定」をやっているという有様です。こうした背景から、外国人宣教師が教育を通して普及を図り、多くの辞書や出版物の蓄積のある「教会ローマ字(白話字)」は採用されず、却って誰にとっても学び直しが必要な使いにくいローマ字が公式に採用されているのが現状です。

ところで、ここまで無批判に「台湾語」と書いてきましたが、言語の呼称そのものに、非常に激しい論争があります。「福建語」はさておき、「台湾閩南語」、「台語」、「ホーロー語」、「ホクロー語」、そのいずれに対しても、様々なイデオロギーから目くじらを立てて怒る専門家がいるはずです。それだけに、私はここではあえて俗称の「台湾語」、「北京語」を使っています。

理由その3
次の問題が、立場の自己矛盾です。台湾語を正式な場合を含め、生活のいろいろな分野で使用される言語として普及させるには、標準化が必要です。つまり、数ある台湾語の方言の中から権威ある誰かが一種類を選び、その方言で辞書、文法書、ローマ字などを作り、学校やメディアで使用させ、それ以外の変種を排除することです。言い換えると、総督府が日本語を、国民党が北京語を台湾で普及させるために行った高圧的な手段です。ところがこれこそが、台湾語復興を叫ぶ台湾ナショナリストや民主化運動などが嫌い、抵抗してきたやり方です。

そもそも、民主化して久しく価値観が多様化した今の台湾では、過去の国民党政権や、もしくはシンガポールで福建語や広東語などを排除し英語と北京語を普及させたような権威主義的なやり方は、まず現実的じゃないでしょう。

或いは、「日本語や北京語は外来言語だから押し付けは悪だが、台湾語は本土言語だから善」と彼らは主張するかもしれません。しかし、それを言うなら台湾語も福建から来た外来言語です。「すでに台湾本土で変容したから外来言語ではない」と論じるなら、北京語(台湾華語)も本土言語、ということになり、議論が堂々巡りです。例えればインドやナイジェリア、フィリピンなどにおける英語をめぐる論争に似ていますね。「台湾のナショナリズムは善だが、中華ナショナリズムは悪」となってくると、もうほとんど人種差別の世界です。

理由その4
次に、見落とされがちなのが、本土言語の衰退と反比例する北京語の普及の原因のもうひとつは、北京語に何か台湾の人々にとって有益な面があったからです。台湾全土で問題なく通じるリンガ・フランカの登場は、北京語が初めてです。台湾語は、閩南系以外から見れば他人の言語だし、かつて教育を受けた台湾人の共通語だった日本語は、シナ・チベット系言語からかけ離れています。昔と違って人々の移動往来や異族通婚が多い現代台湾は、共通語がなかったら機能しないでしょう。「歴史上の事故」から、その言語は北京語、しかもすでに台湾現地化した北京語だったわけです。そのような役割を台湾語に負わせようとすれば、人口の30%以上を占める非閩南系から抗議が出るでしょう。この点もフィリピンやインドの英語と似ています。

理由その5
上で書いたように、家庭が台湾語を選んでいないわけですが、各種調査によると、人々はこれを好意的に受け止めていません。祖父母と孫が共通の言語を持たないことは台湾では珍しくありませんが、誰もこれを良いことだとは思っていないでしょう。「台湾語で台湾アイデンティティを伝承することは理想ではあるが、実際には北京語や英語のほうが有用なので、仕方がないが後者を優先している。」これが多くの台湾人の本音かもしれません。ならば、Fishmanが提唱したように、台湾アイデンティティをもっと鼓吹すればいい、ということになり、現に民進党政権もそれを目指しているのでしょう。ただ、これがなかなか効かなくなってくる要因があります。それは、台湾アイデンティティと台湾語の乖離の現象です。民進党の指導者蔡英文総統がほとんどの公式発言を北京語で行っているように、台湾化した北京語は、すでに今日的台湾人の文化や思想を十分に表現しうる媒体になっています。しかも、人口7割以下を占める多数派・閩南系だけのものではありません。

ここまで書くと、今後は台湾語よりも、台湾独特の北京語が台湾の主要言語であり続けることが間違いないと感じますね。しかも過去の権威主義的言語政策の「後遺症」で、標準化・文字化が完成しています。東京と同じように、台北の本屋に入れば、人々が街で話しているのと同じ言語で書かれた本がわんさか並んでいます。これは、アジアではとても稀有な状況です。マニラやクアラルンプールの本屋に入ったら、売っているのはほとんど現地語ではなく英語か中国語の本です。

ただ、フォークロア化した行事やテレビ番組、教育活動は続くでしょう。また、北京語ベースの発話の中に、ある効果を期待して台湾語の語彙を散りばめる、ということはよく行われているし、今後も続くでしょう。

ところで、北京語使用の弊害も認識されています。もし、人々の主要言語が、巨大な隣国、しかも一党独裁で言論の自由がなく、なおかつ圧倒的な文化的コンテンツ発信国が使用しているのと同じ言語だったら、どうなるでしょうか?そのリスクを回避すべく、現在民進党政権により行われている英語化政策(バイリンガル国家2030政策)の目的は、英語で以て北京語を交換することを含む、とも考えられます。これについては、また別に書くことにします。


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