Sunday, April 10, 2022

日本語が「国語」になった場所

 日本語が「国語」として意識されるようになったのは、1895年に台湾が割譲されたのがきっかけだという説があります。日本各地から集められた6人の先生が「国語伝習所」という小学校(現台北市立士林国民小学)を始めたのが、ここ銘伝大学のすぐ近くの芝山岩です。先生たちは翌年には抗日ゲリラに殺害されたのですが、後には芝山岩神社と伊藤博文が揮毫した石碑が建てられたそうです。戦後は士林国民小学の卒業生により、「六氏先生の墓」が建てられました。この芝山岩、もともとは士林の福建漳州人と万華の福建泉州人が戦ったときに前者が立て籠もった戦場で、その死者たちを祀った祠もあります。(もともと士林街はこのすぐ脇だったのですが、泉州人に焼き払われたので文林橋の南側に移転しました。)今は自然が豊かなハイキングコースになっていて、沿道の案内板表示されているのは、専ら自然生態の案内ばかりで、漳泉抗争や抗日ゲリラなど、歴史関係の掲示はほとんどありません。







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