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Sunday, September 3, 2023

台湾語の呼称をめぐる論争

日本語という名前は良くないから、「やまと語」にしろ、「ジャパン語」にしろ、という人は多くないでしょう。でも台湾では、台湾語を何と呼ぶかについて、未解決の論争があります。

一般的に、一番良く聞かれるのは、「台語」です。運動家たちの間でも、これを支持する人が多いです。日本では、これを和訳して「台湾語」と言っているわけです。しかし、これを公式の呼称にするのには、主に客家人たちから根強い反対があります。人口70%を占める泉州・漳州系台湾人だけが、「台湾のことば」を独占することに異議があるからです。

国民党系がよく使うのは「閩南語」です。中国福建の南部地域との関連を強調できるからです。ただ、福建南部では他の言語もいろいろ話されているし、広東省の潮州語も同系統なので、正確性に欠ける、という意見があります。確かに、厦門語や台湾語だけを閩南語と呼べば、この地域の他の言語の使用者は不満でしょう。また「閩」というのは、北方漢民族から見たこの地域の住民に対する蔑称なので、使うべきではないという人もいます。

ちなみに東南アジアでは、イギリス人宣教師の伝統に従い、この言語を「福建語」と呼んでいますが、同じ福建でも閩東語(福州語)や閩北語は、全く通じない別の言語ですので、上記の問題が更に深刻なことになります。なお、台湾人の間では、東南アジアの「福建語」と、言語的に90%以上共通である自分たちのことばが同じである、という認識がそもそも薄いです。これは別のトピックですね。

民進党政権が妥協策としてよく使ったのが「台湾閩南語」という呼び方です。いろいろある閩南語のなかの、台湾で使われているもの、という意味で私もこれが妥当だと思いますが、台湾語運動家から根強い反対があります。言語というより政治的理由で、とにかく中国との関係を切りたいということでしょう。政府の「台湾閩南語検定」に対抗して、「台語検定」を立ち上げてしまった団体さえあります。(ちなみに、この人たちは、華語からの借用語を激しく糾弾するくせに、日本語からの借用語にはなぜかとても寛容です。)

最近では、「中国」語を避けるために「台湾華語」にしたし、「台湾客家語」もあるので、それに合わせて「台湾台語」にすることが正式に決まりました。しかし、この訳わからない呼称が定着する可能性は低いでしょう。

スペインでは、カタロニア語とかガリシア語とか伝統ある言語がいっぱいあるのに、王室がある場所で話されているということでカスティーリャ語だけを「スペイン語」と言っています。たった70%ぐらいの台湾人のエスニック言語であるこのことばが、「台湾語」と呼ばれる無茶を許容していく方向しかないのではないでしょうか?「批判的」言語学系のかたは不満でしょうが、多数派の言語がリングア・フランカとして機能し、少数言語話者がそれにシフトしていくことは世界でよくあることです。(敢えてそれに逆らったインドネシア語などもありますが、成功例は多くありません。)日本時代以前でも、台湾西部の平地では、異なる言語のコミュニティ同士では台湾語が使われていた形跡があります。平埔族の母語が台湾語になっている所以です。そういう意味で、台湾各地で泉州系と漳州系が混ざって成立したこの言語を、単に「台語」(英訳:Taiwanese Hokkien)とするのが得策なのではないでしょうか?

Saturday, August 5, 2023

フィリピンのマルチリンガル教育の優れた点と、その落とし穴

 フィリピンは、100以上の言語がありますが、「母語ベースのマルチリンガル教育(MTB-MLE)」という、世界でも先進的な初等教育ポリシーを持っています。これは優れているが、実は落とし穴もあります。

この政策の背景には、試しに英語やフィリピノ語ではなく各地の子どもたちが家で話している言語で教えてみたら、算数などの教科の成績が上がったというデータがあります。当たり前といえば当たり前の話です。それで、政府が20ぐらいの言語をピックアップして、教材を作り、小学校の最初の2,3年ぐらいをそれで教えられるようにしています。これによって、学習の効果が実際にアップしています。その後は、段階的にフィリピノ語へ、そして英語へとシフトしていきます。これは世界でも稀に見る進歩的な政策です。

あまり語られませんが、実は、この政策には落とし穴もあります。政府が選んだ20の言語以外の言語を母語とする子どもたちとその先生方は、これまでにも増して多くの言語を学ばなければならないことになり、負担が逆に増えてしまいます。また、それまで標準変種がなかった言語でも、教科書を作るために、どこかの方言をピックアップする必要があります。それ以外の方言を話す子どもと先生たちは、「こんなの俺たちの〇〇語じゃない;直接フィリピノ語(ひいては英語)を学んだほうがまだ楽だ」となってしまいます。

じゃあ、解決策は?全部の言語と方言で教材を作れば、といっても、それには滅法お金がかかります。というか、不可能ですよね。フィリピンは潤沢な教育予算で知られる国々の一つではありません。(ところで、今、ほぼ単一言語となっている国でも、過去には当局が高圧的手段でその主要言語を強制し、もしくは人々が主体的にその言語にシフトし、その他の言語たちが消滅に追い込まれたという歴史があります。)

そもそも、インフラや教員養成がちゃんとしていれば、媒介言語はあまり関係ないという考えもできます。例えばシンガポールは、家で何語を喋っているかに関係なく、全員が初等教育から英語のみで学ぶことが強制される、一見無茶とも思える制度です。それにもかかわらず、学力は世界一の部類に入る高さです。インフラと教員養成がちゃんとしているからです。(そういうのを整備するお金があった、ということでしょう。)

となると、言語環境主義のように、「多様性万々歳」なのか、もしくは、やはり日本や韓国みたいに、ほぼ全員にとって家で喋る言語と、学校で授業を教わる言語と、パソコンのOSと、本屋で暇つぶしに立ち読みする雑誌の言語が一致している(を一致させる)方が理想的なのか、という哲学問答になってきます。

言語復興などに積極的な先生方は、自分のグループの言語を持つことはポジティブなアイデンティティにつながるので、たとえ自分の方言と違っても、学校で教えることに決められた変種を受け入れるべきだ、と言っています。私は、それでは上から強制された国家語や地域共通語を教授媒介として受け入れるのと、規模が違うだけで本質的には同じじゃないか、と思います。私はこれを、「マトリョーシカ問題」と呼んでいます。

具体的に言うと、こういうことです:パナイ島のある村の小学校の先生が、「現地で喋っているヒリガイノン語とは違う、バコロド市で使っているヒリガイノン語で書かれた教科書を作ってやったから使ってくれ」、と言われれるのと、「国語はフィリピノ語なんだから、北はバタン諸島から南はミンダナオまで、全国で使われているのと同じフィリピノ語で書かれた教科書を使うように。問答無用!」と言われるのは、規模は違っても、本質的には同じことなんじゃないか。

グループ同士の違いのほうが個人間の違いより大きく、異なるグループ同士は利害が衝突している、という考えに基づいた政策の下では、結局、村の先生と子どもたちの負担が増えることになります。「君たちは〇〇語を話す〇〇人である」というのが、上から押し付けられるのには変わりません。また、本人や親が、「いや、将来的に有利だからフィリピノ語(英語)話者のコミュニティにシフトしていきたい」と思っても、簡単には認められないことになります。これは、世界中のマイノリティ言語復興運動が直面しうるジレンマであると言えるでしょう。(主要言語へのシフトがすでに完了し、マイノリティ言語が生活言語として復興する望みはもうないが、文化尊重の象徴的ジェスチャーとしてその教育が行われているところでは、この限りではありません。)

Monday, March 6, 2023

When your language is an unfamiliar tongue

This article discusses the sense of alienation people feel when the standard version of the non-dominant language officially promoted and used in mainstream media differs from one's own dialect. The feeling must be all the stronger if you have fought hard and long for the promotion of your language. 

In order for a language to be promoted and institutionalized, one of the dialects has to be “arbitrarily” selected and codified. That dialect happens to be Tâi-oân Iu-sè-khiuⁿ at the moment and used to be Tōa-tiū-tiâⁿ-khiuⁿ during the Japanese period.

When this happens, there will always be some who will feel alienated because the variety being promoted differs from one’s own.
This problem is more acutely felt in places like Mindanao, where teachers are having to teach in a different dialect of their own language under the mother-tongue-based bilingual education program. This has a potential danger of accelerating language shift, because people may opt for the regional lingua franca or national language rather than having to deal with the so-called “own language” which differs from their own natural speech.

Friday, August 5, 2022

The power of government sanction

The power of government sanction: Tâi-lô, the system advocated by the Taiwanese Ministry of Education, is quickly replacing the century-old Pe̍h-ōe-jī, surprisingly even in Malaysia and the Philippines. POJ is a well-established system with lots of publications. This shows what really counts is official recognition and promotion by a government, despite the fact that this alienates proponents of other systems. It is so ironic: The whole point about Taiwan switching from POJ to Tailo was to detach itself from the rest of the Sinosphere. What it actually did was to unwittingly "unite" the rest of the Hokken-speaking world. It's probably why Taiwan is now promoting Chinese-characters-based writing system, which is not readily available to non-Chinese-educated Southeast Asians.










Tuesday, July 19, 2022

A "Russian doll" problem 2

I heard a teacher in southern Philippines complain that she now had to deal with three "foreign" languages instead of two. Previously, she and her students only had to struggle with Filipino and English. Now, in addition to that, she also has to deal with a variety of Cebuano which differs from the local vernacular. Only because the government designated her area to be part of the Cebuano-speaking region. 

A "Russian doll" problem 1

To revitalize a minority language, someone first has to pick one of the many existing varieties, develop it, codify it, write a grammar in it, make a dictionary in it, and teach it to promote it. People who speak other varieties of the same language feel disenfranchised. And they resist the top-down imposition of a "foreign" variety. Actually, the promoters of the minority language is doing exactly what they opposed and resisted when done by the promoter of the majority language.