明治41年に児玉源太郎と後藤新平の記念館として建てられた、国立台湾博物館。日本時代の総督府博物館の所蔵を受け継いでおり、日本の自然科学者や人類学者達によって収集された、台湾研究の展示品を見ることができる。展示品はもとより、美しいヨーロッパ式の建築物そのものを参観するのが目的で訪れていると思しき方々も多く見受けられた。地下には、子どもたちが遊びを通して台湾への理解を深めることができるエリアがある。以前、台北に20年ほど住んでいたとき、一度も訪れたことがなかった。灯台下暗し。6月中旬の大雨の日に訪れた。
Thinking out loud on issues of language teaching and learning in Taiwan, Japan and beyond
Saturday, July 16, 2022
鉄道博物館
日本時代の大正8年に完成した旧鉄道部は、現在、鉄道博物館となって公開されています。録音とはわかっていても、ガタンゴトン、踏切の音、駅のアナウンスなどを聞くと興奮しますねえ!日本時代をはじめ(朝鮮の王様と昭和天皇が乗ったお召し列車のエンブレムもあります)、台鉄になった後の展示品も充実しています。児童が遊びながら鉄道の仕組みを学ぶエリアで、非常に珍しく台湾語で会話している子供たちと若いママたちを見かけました。近所には三井物産の旧倉庫を、人文やフェミニズム文学をテーマにしたカフェにリフォームした場所もあります。6月中旬、とても天気が悪い日に、国立台湾博物館(旧後藤新平記念館)を訪れたついでに参観しました。
台湾歴史博物館の親日バイアス?
Wednesday, July 13, 2022
中華民国だけど台湾でない金門島
This article is in Japanese. If you are not reading it in Japanese, it may have been inaccurately machine translated. 台湾に戻ったあとの隔離が必要ないとのことで、6月上旬に福建省の金門島に行って来ました。中国アモイ市からたった1.8キロという、中華民国統治の最前線です。
レンタカーのラジオをつけると、早速中国のラジオ局がビンビンで入ってきました。金門島側のラジオ局は、銘伝大学金門キャンパスの学生が運営している小型FM局などしかありません。
海岸からはアモイ市の高層ビル群が肉眼で見えるし、目と鼻の先に見える小島も中国領です。
1979年までは毎奇数日に人民解放軍の空襲があり、旧日本軍の顧問も迎え多数の死者を出す壮絶な防衛をしてきた軍事要塞の島ですが、1992年に戒厳令が解かれ、中華民国軍も大部分が撤退して、軍事要塞だったところは、テレサ・テンなどゆかりの観光地になっています。福建南部式の極めて美しい古民家を改造したホテルやカフェも人気です。
島民の生活維持は中国側からのパイプ送水に頼っており、選挙では親中派の国民党と新党しか勝ったことがありません。住民の殆どは、海峡の向こうの遠い台湾より、目と鼻の先にあり経済的に発展している中国との統一を望んでいるということです。
一方、道路や建物などのインフラは、台湾からの投資によるもので、セブンイレブンやファミマ、ビンロー屋台やタピオカドリンク店が林立する街や道路の佇まいは、台湾の地方都市と全く変わらず、「台湾の植民地?」という言葉さえ思い浮かびます。ただし税制が台湾と違うので、空港や街なかに免税品店があります。最近では台湾からの不動産投資も増加し移住者も増え、地価が上がっているそうです。
地元の言語は閩南語で、台湾語とほぼ同じです。同安なまりで、澎湖島のものと似ており、台北盆地や新竹市の訛りとかなり近いです。ただし、台湾語に大量に存在する日本語からの借用語がありません。台湾と違い、長期の日本植民統治を経験しなかったためです。
土地が痩せている金門は神戸、マニラ、ブルネイ、シンガポール、マレーシアなどに大量の華僑を送り出してきましたから、これらの地で話される福建語には、金門語の特徴が残っている可能性があります。
教育制度は台湾と同じため、学校では台湾から来た教員により「台湾閩南語」が教えられており、これが地元の閩南語と異なるということで問題になっています。
ただ、戦後、中華民国軍関係者の人口が地元民を何倍も上回る状態が長年続いたため、金門では北京語(台湾華語)が非常に普及しています。学校で「台湾閩南語」の授業がなければ、子どもたちはそもそも北京語のモノリンガルでしょう。この北京語は台湾のものと全く同一で、言葉だけを聴いて台湾人と金門人を区別することは不可能と思われます。
Friday, December 17, 2021
懐古趣味?
大正時代の街並みを復刻した商店街の一角に、台湾人の手による、日本統治時代を懐かしむような商品がいっぱい並んでいます。近くには、日本統治時代をテーマにしたブックカフェもありました。「認識台湾」が学校の教科になって四半世紀近く経つので、まさか「国民党の中国中心の地歴教育によって、若い台湾人が台湾について何も知らないことに対する反動」でもないでしょう。懐古趣味は理解できないでもないが、ほとんどの台湾人にとって日本時代よりも今のほうが、よっぽどいい生活ができていると私は思うが。
先日、世界最大の書店の一つを訪れたときも、台湾史のコーナーに、日本時代に関する本がわんさかあるのはもちろん、オランダ・スペイン統治時代に関する本もいっぱいあるのに、清朝時代に関する本があまりにも少なくて驚いた。マッカイ牧師の回想録などを読むと清朝時代をあまり思い出したくない台湾人が多いのはわかるが、それにしても、日本・オランダ・スペイン時代はたったの数十年、清国統治は200年以上。故意に無視しようとしているのかと勘ぐりたくもなるが、ただ市場的に、売れないから書かない、置いてない、ということなのだろう。
Sunday, November 28, 2021
復刻された大正時代の新北投駅
台北メトロの新北投駅の隣に、日本時代の駅舎を復刻した施設があり、内部には鉄道に関する展示があります。以前新潟国際大学で公演を行った台湾人宮大工の方が、再建に携わったそうです。昔のガチャガチャなんかがありました。プラットフォームにはには客車があり、その内部で北投の温泉文化に関する展示があり「流し(台湾語でナカシ)」という温泉宿を回って客の歌の伴奏をする演歌バンドの紹介をする動画が放映されていました。流しのミュージシャンたちの間では、台湾人客にわからないように日本語の言葉を逆さ読みにする暗語があると言っていて、興味深かったです。カラオケ機器が普及してからは、廃れたそうです。そういえば、何年も前に義父の誕生日を北投の温泉旅館で祝った時、ナカシが呼ばれていて、何か歌わされたことがありました。温泉に入る時間がなかったので、入り口にある手湯で我慢しました。結構熱かったです。夜までお肌スベスベでした。手だけ。























































