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Sunday, April 10, 2022

日本語が「国語」になった場所

 日本語が「国語」として意識されるようになったのは、1895年に台湾が割譲されたのがきっかけだという説があります。日本各地から集められた6人の先生が「国語伝習所」という小学校(現台北市立士林国民小学)を始めたのが、ここ銘伝大学のすぐ近くの芝山岩です。先生たちは翌年には抗日ゲリラに殺害されたのですが、後には芝山岩神社と伊藤博文が揮毫した石碑が建てられたそうです。戦後は士林国民小学の卒業生により、「六氏先生の墓」が建てられました。この芝山岩、もともとは士林の福建漳州人と万華の福建泉州人が戦ったときに前者が立て籠もった戦場で、その死者たちを祀った祠もあります。(もともと士林街はこのすぐ脇だったのですが、泉州人に焼き払われたので文林橋の南側に移転しました。)今は自然が豊かなハイキングコースになっていて、沿道の案内板表示されているのは、専ら自然生態の案内ばかりで、漳泉抗争や抗日ゲリラなど、歴史関係の掲示はほとんどありません。







Friday, December 17, 2021

懐古趣味?

 大正時代の街並みを復刻した商店街の一角に、台湾人の手による、日本統治時代を懐かしむような商品がいっぱい並んでいます。近くには、日本統治時代をテーマにしたブックカフェもありました。「認識台湾」が学校の教科になって四半世紀近く経つので、まさか「国民党の中国中心の地歴教育によって、若い台湾人が台湾について何も知らないことに対する反動」でもないでしょう。懐古趣味は理解できないでもないが、ほとんどの台湾人にとって日本時代よりも今のほうが、よっぽどいい生活ができていると私は思うが。

先日、世界最大の書店の一つを訪れたときも、台湾史のコーナーに、日本時代に関する本がわんさかあるのはもちろん、オランダ・スペイン統治時代に関する本もいっぱいあるのに、清朝時代に関する本があまりにも少なくて驚いた。マッカイ牧師の回想録などを読むと清朝時代をあまり思い出したくない台湾人が多いのはわかるが、それにしても、日本・オランダ・スペイン時代はたったの数十年、清国統治は200年以上。故意に無視しようとしているのかと勘ぐりたくもなるが、ただ市場的に、売れないから書かない、置いてない、ということなのだろう。





Sunday, November 28, 2021

クタガラン文化センターと温泉博物館

先日、用事があり北投に行ったので、ついでに北投神社の跡地であるクタガラン文化センターと温泉博物館、旧新北投駅跡地を訪れました。クタガラン族は、台北の原住民です。漢族に同化されたので、自分が漢族だと思っている台北人も、祖先はクタガラン族かもしれません。言語学者は別として、今クタガラン語を話せる人はいません。日本人類学者が残した記録が残るのみです。温泉博物館に入ると、銭湯の下駄箱でスリッパに履き替えさせられます。昭和天皇がここを訪れた時の写真がありました。北投温泉は、日本陸軍の休養所だったところで、北投の地質や、日本の銭湯文化を学ぶ施設となっています。付近には、全木造で環境を意識して作られた、方舟のような台北市立図書館があります。残念ながら温泉に浸かる時間はありませんでしたが、近くにある日本時代の新北投駅の駅舎を復刻した施設を訪れました。














 

大正時代の街並みが残る斗六

先日、所要で西南部の雲林県斗六市に行った際、スキマ時間ができたので、日本軍杯を収集している台湾の方がやっている博物館に行こうと思ったのですが、休みでした。そこへ行く途中に、大正時代のバロック建築商店街が残っている地域を通過しました。台北の大稻埕や各地の老街のように観光地化はされておらず、大正時代と同じように普通の商店街です。ヘアサロンの二階には、日本語ローマ字で「CHOHATSU」なんて書いてあるのが残っていました。台湾では日本語の店名や看板は全く珍しくもありませんが、たまたま「清原」タピオカドリンク店、「あきら」ヘアサロン、「中村」ベーカリーと三軒ならんでいたのでパチリ。流石に南部の太陽はギラギラで、とても暑かったです。






Sunday, November 21, 2021

U.S. “spy” plane over Au-káng-kîⁿ?

 民國34年美軍拍的後港墘 (English follows below)

看得出277巷是「重要幹道」!

景祐宮不在現在的位置(你們當然知道)

後港當時是社子的一部份(講「同安腔」的,別於士林街的漳腔)

另外,酒店內和三角埔都在「後港生活圈」內

An aerial photo of Āu-káng-kîⁿ taken by US forces in 1945

You can see that Lane 277 was THE major thoroughfare!

And the temple in the corner wasn’t there. (Of course, you guys remember that!)

Au-káng was part of Siā-á back then (this explains your Tang-oaⁿ accent 😆) and the area of activity mainly extended north-south along the river.