Sunday, December 19, 2021

台湾語の死と台湾華語による台湾アイデンティティの継続

 あと25年ほどで、台湾語は死ぬと思う、日常的コミュニケーション言語としては。主な理由は、家庭で親が子供に北京語で喋っているからである。今、9割以上の台湾の家庭で北京語が話されており、台湾語が話せる子供は、7%強ぐらいだと言われている。台湾語が不自由に話せるのは、ほとんど中高年以上の世代である。彼らも25年後には引退する。

「国民党のせいだ」という人が多いが、台湾語が学校の科目になり、政府が台湾語保護のために大量の税金をつぎ込むようになってから30年経っている。台湾語話者自身が、劣勢を挽回するチャンスをのがしたことに他ならない。

イデオロギーにかられて台湾語保護を叫ぶ活動家たちは親を責めるが、子供の将来の為を思う親心を責めてはいけない。その活動家自身も、意外と家では自分の子供と北京語で話しているかもしれない。

ただ、仮に家庭で子供と台湾語を話していれば、北京語=Hコード・台湾語=Lコードというダイグロシアが成立していたはずである。しかし、学校で他の子供に遅れをとってはいけない、という親心で、台湾の親たちは誰にも強制されることなく、子供と北京語で話すという選択をしたのである。

もっとも、宗教行事や一部の業界など、特殊な分野では生存するだろう。今日、台湾語ミサに参加したが、多くの人は実は北京語ミサのほうが慣れている。聖職者は北京語で考えた説教の原稿をその場で台湾語に訳しながら発言しているし、信者さんたちはミサは台湾語でがんばって参加して、終わったあとは北京語でおしゃべりしている。(南部のある教会でミサに参加した時は、ミサ自体は北京語で、説教の一部だけを北京語が不自由な年配者たちのために台湾語で行う、という方式だったが、そういう年配者がいなくなれば全北京語になることが予想される。)伝統的な市場では、売り手と客が市場のリンガ・フランカである台湾語でやり取りをしているが、横にいる自分の家族とは北京語で話している。アイルランドでのアイルランド語のように、学校で習うけど普段は使わない、アイデンティティの象徴になるだろう。

また、海外在住者の間では、台湾在住時は主に北京語を使っていたにもかかわらず、海外では中国大陸出身者と混同されるのを避けるため、わざわざ台湾語を使用する事象も見受けられる。マレーシア広東語区域以外出身にも関わらず、台湾留学中はわざわざ広東語を使うマレーシア人と似ている。

北京語ベースで、挨拶や一部の語彙など台湾語を交えるコードミキシングは続くだろう。生活用語としての台湾語が死んでも、台湾化した北京語(台湾華語)を通して、台湾アイデンティティは存続するだろう。新潟の都市部で新潟弁は凋落したが、新潟風の共通語が話されているのと似ている。

植民地時代の日本語を除けば、全台湾サイズのリンガ・フランカが出現したのは、経緯はともあれ北京語が初めてである。台湾大のナショナリズムが出現すれば、その媒介言語は北京語となることが自然である。現にそうなっている。

旧ソ連や東欧では、東側ブロック崩壊後、ロシア語はリンガ・フランカとしての価値は無視されて凋落したが、台湾では客家や原住民からの異議があるので、台湾語が北京語と取って代わることはないだろう。

目下の「バイリンガル政策」による英語の普及が台湾語のさらなる凋落をもたらすという意見をよく聞くが、学齢児の間では、台湾語がそもそも生活言語として機能していないので、影響はないだろう。

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