Monday, May 16, 2022

香港の広東語と香港アイデンティティ形成

香港の広東語は香港アイデンティティ形成に貢献した。香港では、英語などの影響を受けた広州語=廣府話、俗称香港広東語(以下、広東語)がリンガ・フランカとして機能しています。

しかし、香港の人口で広州語エリアにルーツがある人は半数ぐらいに過ぎないと言われています。それ以外は、上海語、潮州語、福建語、客家語、広州語以外の広東の方言(香港の土着言語)などの話者でした。

それにも関わらず、広東語の浸透力はとても強く、それと英語以外の言葉は「いなか語=鄉下話」と言われて蔑まれ、香港で育った第二世代は、事実上、広東語のモノリンガルになっていきます。

もともと、香港は商業で栄えた都市で、外国人との交易を担っていたのが広州人だったから彼らの言葉が街のリンガ・フランカになりました。

イギリス当局は、表面上は不干渉(レッセフェール)の政策をとっていましたが、本音は、中国国内と同じ言語が通用して中国ナショナリズムが香港に波及すると困るから、あえて広東語の発展を妨げなかったのではないかと思います。

さて、その効果が発酵したのが、最近の香港アイデンティティの高まりです。

90年代、2000年代とも、自分は中国人だと思わない香港人はそんなに多くなかったのです。ところが、中共が一国二制度を反故にした2010年代あたりから、それまでほぼ存在しなかった、香港独立運動が急に支持を集めるようになります。

香港の人が、自分は他とは違う香港人だ、と感じる一つの要素が香港独特の広東語です。正式には書き言葉はないのですが(香港の公式な書き言葉は英語と中国語)、雑誌や漫画などを通して、書き言葉も少しづつ浸透し、香港人がネットで書き込みする場合、香港英語以外では書き言葉の広東語が普通になっていています。

清朝末期のイギリスのプロテスタント宣教師たちは、人々が自分の言葉の話し言葉に訳された聖書を手にするとそこから「民族」が発生するという、マルティン・ルターの思想の影響を受けていたと思いますが、100年以上のタイムラグで、本当にそうなりました。

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