Friday, December 31, 2021

Is Taiwanese Hokkien a non-colonial language? 台湾語は非植民言語か?

I've heard some people classify Taiwanese Hokkien (hereafter Hokkien), Hakka, and Austronesian languages as local or indigenous languages, and Japanese and Mandarin as external or colonial languages. (It is interesting why English is not included in the list of colonial languages, but that is a topic for another blog post.)

So, is Hokkien really a non-colonial language?

Today, most people who have grown up in households where Hokkien is spoken identify themselves as Taiwanese or Holo. 

But if we look at history, we find that there were also Teochew and Hokchiu people in pre-Japanese Taiwan. The former is remotely related to Hokkien, while the latter is a totally different language. Tamsui, the English name for the port town in northern Taiwan, is a transliteration of the Hokchiu sound. Those people assimilated into the Hokkien mainstream, abandoning their original languages.

Also, it is well-known that Pepo tribes, e.g. Ketagalan, Kavalan, Siraya, etc., have shifted linguistically from their original Austronesian languages to Hokkien.

The same kind of shift is happening right at this moment. More and more Taiwanese people are adopting Mandarin as their dominant language, through which they express their Taiwanese identity and sense of belonging. As the government is pushing forwards its Bilingual Nation 2030 (BN30) policy, there may even be a further shift from Mandarin to English several decades down the road.

So, is it fair to say that Mandarin is a colonial language in Taiwan while Hokkien is not? Well, I think it's fairer to say they both are "colonial" languages if you insist on using that term.

台湾閩南語(台湾語)や客家語、オーストロネシア諸語などを土着言語、日本語や華語(北京語)を「植民(外来)言語」と分類する人がよくいる。(なぜ英語が植民言語として槍玉に挙げられないのかが興味深いが、それは別稿に譲ることにする。)

台湾語は本当に非植民言語なのだろうか?

今日、台湾の台湾語が話される家庭で育った人はたいてい、自分が台湾人、つまりホーロー人であると考える。

しかし、歴史を紐解くと、日本統治以前の台湾にも少なからず潮州人や福州人がいたことがわかる。前者は台湾語と遠戚関係にある言語で、後者は全く異なる言語である。例えば、台湾北部の港町の英語名Tamsuiは、福州語読みである。さて、この人達は、やがてもともとの言語を放棄し、主流台湾語(ホーロー人)に同化した。

また、よく知られているように、平埔族(例えばクタガラン族・カヴァラン族・シラヤ族など)は、オーストロネシア系の言語を放棄し、主流台湾語にシフトした。

同じようなことが、今目の前で起こっている。多くの台湾人が、北京語にシフトして、その台湾化した北京語(台湾華語)を通して、台湾のアイデンティティや帰属感を語るようになっている。現在、政府は「2030年バイリンガル国家政策」を推めているが、数十年後は、同じようにシフトが今度は英語に向かって起こっているかもしれない。

そういうわけで、「台湾語は土着言語、北京語は植民言語」という考え方は成り立つのだろうか?少なくとも、「植民〇〇」という用語にこだわるのなら、「台湾語も北京語も植民言語である」と言ったほうが正しいかもしれない。

Sunday, December 19, 2021

台湾語の死と台湾華語による台湾アイデンティティの継続

 あと25年ほどで、台湾語は死ぬと思う、日常的コミュニケーション言語としては。主な理由は、家庭で親が子供に北京語で喋っているからである。今、9割以上の台湾の家庭で北京語が話されており、台湾語が話せる子供は、7%強ぐらいだと言われている。台湾語が不自由に話せるのは、ほとんど中高年以上の世代である。彼らも25年後には引退する。

「国民党のせいだ」という人が多いが、台湾語が学校の科目になり、政府が台湾語保護のために大量の税金をつぎ込むようになってから30年経っている。台湾語話者自身が、劣勢を挽回するチャンスをのがしたことに他ならない。

イデオロギーにかられて台湾語保護を叫ぶ活動家たちは親を責めるが、子供の将来の為を思う親心を責めてはいけない。その活動家自身も、意外と家では自分の子供と北京語で話しているかもしれない。

ただ、仮に家庭で子供と台湾語を話していれば、北京語=Hコード・台湾語=Lコードというダイグロシアが成立していたはずである。しかし、学校で他の子供に遅れをとってはいけない、という親心で、台湾の親たちは誰にも強制されることなく、子供と北京語で話すという選択をしたのである。

もっとも、宗教行事や一部の業界など、特殊な分野では生存するだろう。今日、台湾語ミサに参加したが、多くの人は実は北京語ミサのほうが慣れている。聖職者は北京語で考えた説教の原稿をその場で台湾語に訳しながら発言しているし、信者さんたちはミサは台湾語でがんばって参加して、終わったあとは北京語でおしゃべりしている。(南部のある教会でミサに参加した時は、ミサ自体は北京語で、説教の一部だけを北京語が不自由な年配者たちのために台湾語で行う、という方式だったが、そういう年配者がいなくなれば全北京語になることが予想される。)伝統的な市場では、売り手と客が市場のリンガ・フランカである台湾語でやり取りをしているが、横にいる自分の家族とは北京語で話している。アイルランドでのアイルランド語のように、学校で習うけど普段は使わない、アイデンティティの象徴になるだろう。

また、海外在住者の間では、台湾在住時は主に北京語を使っていたにもかかわらず、海外では中国大陸出身者と混同されるのを避けるため、わざわざ台湾語を使用する事象も見受けられる。マレーシア広東語区域以外出身にも関わらず、台湾留学中はわざわざ広東語を使うマレーシア人と似ている。

北京語ベースで、挨拶や一部の語彙など台湾語を交えるコードミキシングは続くだろう。生活用語としての台湾語が死んでも、台湾化した北京語(台湾華語)を通して、台湾アイデンティティは存続するだろう。新潟の都市部で新潟弁は凋落したが、新潟風の共通語が話されているのと似ている。

植民地時代の日本語を除けば、全台湾サイズのリンガ・フランカが出現したのは、経緯はともあれ北京語が初めてである。台湾大のナショナリズムが出現すれば、その媒介言語は北京語となることが自然である。現にそうなっている。

旧ソ連や東欧では、東側ブロック崩壊後、ロシア語はリンガ・フランカとしての価値は無視されて凋落したが、台湾では客家や原住民からの異議があるので、台湾語が北京語と取って代わることはないだろう。

目下の「バイリンガル政策」による英語の普及が台湾語のさらなる凋落をもたらすという意見をよく聞くが、学齢児の間では、台湾語がそもそも生活言語として機能していないので、影響はないだろう。

Friday, December 17, 2021

懐古趣味?

 大正時代の街並みを復刻した商店街の一角に、台湾人の手による、日本統治時代を懐かしむような商品がいっぱい並んでいます。近くには、日本統治時代をテーマにしたブックカフェもありました。「認識台湾」が学校の教科になって四半世紀近く経つので、まさか「国民党の中国中心の地歴教育によって、若い台湾人が台湾について何も知らないことに対する反動」でもないでしょう。懐古趣味は理解できないでもないが、ほとんどの台湾人にとって日本時代よりも今のほうが、よっぽどいい生活ができていると私は思うが。

先日、世界最大の書店の一つを訪れたときも、台湾史のコーナーに、日本時代に関する本がわんさかあるのはもちろん、オランダ・スペイン統治時代に関する本もいっぱいあるのに、清朝時代に関する本があまりにも少なくて驚いた。マッカイ牧師の回想録などを読むと清朝時代をあまり思い出したくない台湾人が多いのはわかるが、それにしても、日本・オランダ・スペイン時代はたったの数十年、清国統治は200年以上。故意に無視しようとしているのかと勘ぐりたくもなるが、ただ市場的に、売れないから書かない、置いてない、ということなのだろう。





Thursday, December 9, 2021

Tâi-gí ah-sī Tâi-gú?

Bé-á Góa iáu-sī bô bóe che, put-chí sī in-ūi Góa bōe chhēng T-shirt, chú-iàu sī in-ūi bô siá "Tâi-gú."