Wednesday, June 22, 2011

英語は金持ちの言葉?



前にもフィリピンの言語について書きましたが、また書きたくなったので。



フィリピンを旅したことある方なら、看板や標識はほとんど英語しか書いていないことに気がついたでしょう。公用語は英語とフィリピノ語2種類のはずなのに、公式文書はなぜか英語だけ。ところが、街中で、フィリピン人同士が英語だけで会話しているのは、学校や役所、金持ちの地域以外ではあまり聞かないでしょう。



読み書き、家族との会話、同僚との会話、学校の授業など、全部が一種類の言語でできる日本や韓国のような国は、本当に珍しいです。フィリピンもその例に漏れず、毎日いろんな言語を使う必要がある国です。



まず、家で話しているのは、地元の言語であることが多いです。こういう言語はたくさんありすぎるので、さらに、付近の大都市の言語が、異なる言語を話している人々の間の共通語になっていることが多いです。たとえば、セブ島近辺なら、セブ市で話されているセブアノ語を使えば、別の言語を話している人たちとも意思疎通が図れる、ということです。



さらに、国レベルでは、「フィリピノ語」というのがあります(実質上は、マニラ周辺の共通語、タガログ語と同じです)。小学校に入ると、初めてこれを勉強する人が多いです。でも、今テレビの人気番組はほとんどこのフィリピノ/タガログ語なので、大して苦労しなくてもこれをマスターするフィリピン人も最近多いです。また、何百万人というフィリピン人が海外に出て働いていますが、彼らが海外で、言語背景が異なるフィリピン人と会ったら、この言語で話すので、海外に出た結果フィリピノ/タガログ語が上手になるフィリピン人も多いです。



また、最近国の政策に変更があり、地元言語が復活することになったとはいえ、まだ実質的には小学校は英語とフィリピノ語のバイリンガルになっています。中学までにだんだんすべてが英語になっていくシステムです。



本屋にはほとんど英語の本しかありませんし、新聞も、大新聞といわれるようなやつは英語だけです。ラジオやテレビはフィリピノ語や地元語が有力なので、フィリピン人がまとまったモノを読むときは、ほとんど英語しか使わない、ということでしょう。(以前、台湾にいる高学歴のフィリピン人に、フィリピノ語で書かれた本をあげてもあまり喜ばれないことがありましたが、彼らが読むのはもっぱら英語なのです。)



(東南アジアのほかの国と同じように、「英語のおかげで学力が弱くなっている、英語は科目だけにとどめて、まず母語で思考能力を強めたほうがいい」と主張する言語教育専門家と、「英語はやっぱり大事だから早くから教えたほうがいい、他のいろんな地元言語を習得する暇があったら、英語をやったほうがまし」とする、言語教育には素人の父兄との間で、激しい対立があります。フィリピンの場合は、幸い前者が勝ったということです。これについてはまた別の機会に書きます。)



「大金持ちのフィリピンと貧乏人のフィリピン、この二つの全く異なる国が、同じ島々の上に共存している」とよく言いますが、これと同じことが、学校でも起こっています。



富裕層の子供は、幼いときから英語を話している子も多いし、親が英語を話す幼稚園に入れたり、英語のせいで勉強に追いつけないということがあれば、英語塾に通わせることができるので、英語を使う政策は、富裕層に有利、ということになります。



一方、地元語とフィリピノ語しか上手にはできない貧困層は、自分の国の法律はおろか、普通の本や新聞もろくに読めない、つまり一生出世できない、ということになります。英語が貧富の差の拡大に貢献している、という意見が専門家の間では根強いですが、一理はあるかもしれません。



だからと言って、新しい政策が決めたように、授業で使う言語としての英語を廃止して、すべてを地元語+フィリピノ語にすれば問題は解決するかといえば、そうもいえないと僕は思います。



フィリピンの公立学校の学力が上がらない原因は、英語にあるというより、設備、教材、先生の給料、子供が働き手として必要とされていることなど、経済的なところにあるのではないでしょうか?先生が自分で学校に机や椅子を持ってこなければいけないほど貧しいところがあるそうですから、もう英語なんちゃら以前の問題でしょう。



仮に、英語を廃止して、高等教育を全部フィリピノ語にしたとします。たとえそうしても、富裕層の子供はフィリピノ語でも貧乏人の子供より良い条件で勉強するはずですから、結局ギャップはあまり縮まらないのではないでしょうか?



また、逆に、経済条件が良ければ、学校の言語と家の言語が違っても、ちゃんと勉強できる、ということもあります。たとえば、シンガポールや香港では家の言語に関係なく学校ではすべて英語ですし、台湾も僕達ぐらいの世代までは、家ではほとんど「台湾語」か客家語で暮らしていたのにもかかわらず、学校の勉強は小学校から百パーセント母語ではない「北京語」です。それでも、この3つの「国」は、学力の面で、常に世界のトップクラスです。



初等教育を自分の言葉でやらないと知能的な発展に差し障る、という説は、学会ではほとんど常識になっており、正しいのかもしれませんが、シンガポールでも香港でも、表面上は英語オンリーということにしておいて、実際には子供たちは一旦母語に置き換えて考えているから、知能発展にあまり差し支えがない、ということも見逃されがちです。確かに直接母語でやったほうが、一旦英語に置き換えるより易しいかもしれませんが、国によっていろいろな事情(シンガポールの複雑な人種関係、香港の国際金融都市としての重要性、フィリピンのいろんな言語の教材を作る困難など)があり、みんなにベストのことがたやすくできるとは限りません。それに、一旦置き換えなければならない手間が、経済力でカバー可能な部分(たとえば塾に通わせるなど)でしょう。



フィリピンが、小学校で教授言語としてのを英語を廃止して、少なくとも3年生までは地元の共通語で教えることに決めたことは、一応喜ばしいことでしょう。看板や法律も将来フィリピノ語に変更できれば、富裕層以外の人たちにとっても公平です。でも、富裕層は政策を無視して、これからも日常生活で英語を使い続けるでしょうし、英語が社会的地位アップに必要な言語であるという客観的事情も、すぐには変わらなさそうです。言語教育に関する終わりのない対立で社会的資本を費やすよりも、公立学校をめぐる経済的状況を改善することが先決なのではないでしょうか。

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