Saturday, August 5, 2023

フィリピンのマルチリンガル教育の優れた点と、その落とし穴

 フィリピンは、100以上の言語がありますが、「母語ベースのマルチリンガル教育(MTB-MLE)」という、世界でも先進的な初等教育ポリシーを持っています。これは優れているが、実は落とし穴もあります。

この政策の背景には、試しに英語やフィリピノ語ではなく各地の子どもたちが家で話している言語で教えてみたら、算数などの教科の成績が上がったというデータがあります。当たり前といえば当たり前の話です。それで、政府が20ぐらいの言語をピックアップして、教材を作り、小学校の最初の2,3年ぐらいをそれで教えられるようにしています。これによって、学習の効果が実際にアップしています。その後は、段階的にフィリピノ語へ、そして英語へとシフトしていきます。これは世界でも稀に見る進歩的な政策です。

あまり語られませんが、実は、この政策には落とし穴もあります。政府が選んだ20の言語以外の言語を母語とする子どもたちとその先生方は、これまでにも増して多くの言語を学ばなければならないことになり、負担が逆に増えてしまいます。また、それまで標準変種がなかった言語でも、教科書を作るために、どこかの方言をピックアップする必要があります。それ以外の方言を話す子どもと先生たちは、「こんなの俺たちの〇〇語じゃない;直接フィリピノ語(ひいては英語)を学んだほうがまだ楽だ」となってしまいます。

じゃあ、解決策は?全部の言語と方言で教材を作れば、といっても、それには滅法お金がかかります。というか、不可能ですよね。フィリピンは潤沢な教育予算で知られる国々の一つではありません。(ところで、今、ほぼ単一言語となっている国でも、過去には当局が高圧的手段でその主要言語を強制し、もしくは人々が主体的にその言語にシフトし、その他の言語たちが消滅に追い込まれたという歴史があります。)

そもそも、インフラや教員養成がちゃんとしていれば、媒介言語はあまり関係ないという考えもできます。例えばシンガポールは、家で何語を喋っているかに関係なく、全員が初等教育から英語のみで学ぶことが強制される、一見無茶とも思える制度です。それにもかかわらず、学力は世界一の部類に入る高さです。インフラと教員養成がちゃんとしているからです。(そういうのを整備するお金があった、ということでしょう。)

となると、言語環境主義のように、「多様性万々歳」なのか、もしくは、やはり日本や韓国みたいに、ほぼ全員にとって家で喋る言語と、学校で授業を教わる言語と、パソコンのOSと、本屋で暇つぶしに立ち読みする雑誌の言語が一致している(を一致させる)方が理想的なのか、という哲学問答になってきます。

言語復興などに積極的な先生方は、自分のグループの言語を持つことはポジティブなアイデンティティにつながるので、たとえ自分の方言と違っても、学校で教えることに決められた変種を受け入れるべきだ、と言っています。私は、それでは上から強制された国家語や地域共通語を教授媒介として受け入れるのと、規模が違うだけで本質的には同じじゃないか、と思います。私はこれを、「マトリョーシカ問題」と呼んでいます。

具体的に言うと、こういうことです:パナイ島のある村の小学校の先生が、「現地で喋っているヒリガイノン語とは違う、バコロド市で使っているヒリガイノン語で書かれた教科書を作ってやったから使ってくれ」、と言われれるのと、「国語はフィリピノ語なんだから、北はバタン諸島から南はミンダナオまで、全国で使われているのと同じフィリピノ語で書かれた教科書を使うように。問答無用!」と言われるのは、規模は違っても、本質的には同じことなんじゃないか。

グループ同士の違いのほうが個人間の違いより大きく、異なるグループ同士は利害が衝突している、という考えに基づいた政策の下では、結局、村の先生と子どもたちの負担が増えることになります。「君たちは〇〇語を話す〇〇人である」というのが、上から押し付けられるのには変わりません。また、本人や親が、「いや、将来的に有利だからフィリピノ語(英語)話者のコミュニティにシフトしていきたい」と思っても、簡単には認められないことになります。これは、世界中のマイノリティ言語復興運動が直面しうるジレンマであると言えるでしょう。(主要言語へのシフトがすでに完了し、マイノリティ言語が生活言語として復興する望みはもうないが、文化尊重の象徴的ジェスチャーとしてその教育が行われているところでは、この限りではありません。)

Friday, August 4, 2023

マレーシア人の言語

 マレーシア人の半分以上はマレー人、残りは中華系、インド人、欧州系などです。一般人の感覚としては、ムスリムであればマレー人と認識されるようです。マレー人は主に田舎に多く住んでいて、大都市では中華系が多数です。

マレー人以外で、家でマレー語を話している人はほぼいません。それで、都市によって、主要な言語が違います。例えば、クアラルンプールの街なかで一番良く聞くのは広東語、ペナンでは福建語(台湾語とほぼ同じ)、シブでは福州語(福建語と全然違う)、コタキナバルでは客家語、という具合です。

例えばクアラルンプールでは、自分の家庭で話す言語が英語であれ、潮州語であれ、外で知らない人と話す場合は広東語で、となります。ただ、福州語や海南語など、割りとマイナーな言語がメインの都市では、若い世代を中心に、華語(北京語)で話していることが多くなっています。華語は学校の授業の媒介語だし、話し言葉と書き言葉が一致しているからです。

このような言語の違いを、一般のマレー人はあまり認識していません。「中国人だから、中国語で話しているんだろう」ぐらいに思っている人が多いようです。

なお、インド系の人たちは、特に都市部では、お隣のシンガポールのように、家庭でも英語を話している人が多いようです。

こういうのは、実際に行って聞かないと、本当のところはわかりません。アンケート調査などをしても、社会的通念や、ナショナリズムが暗に求める建前を答えてくることが多々あります。

ここまで書いたのは、話し言葉のことです。読み書きになると、中華系の場合、中国語学校出身の場合は中国語で、マレー語学校(旧英語学校)出身の場合は英語で、ということになります。プラナカンという、古くから現地化した少数の華人は、上の世代はもっとマレー語を使っていたようですが、今は英語がメインです。中華系で、読み書きはマレー語でするし、マレー語新聞をとっている、というマレーシア人を私はまだ見たことがありません。

そんなわけで、華語も広東語も、ひいては英語もマレーシアの公用語ではありませんが、マレーシア人同士でこれらを使って話しているのは普通です。言語的には、マレー語のマレーシアとそれ以外のマレーシアが、同じ国土に共存しているような感じです。