Wednesday, September 6, 2023

Kind and friendly Taiwanese

People are discussing their experiences with friendly Taiwanese people. Here’s my contribution. One time I visited an indigenous village in Hualian for the harvest festival. I took a taxi from the train station. Once in the village, I was introduced to an old gentleman who spoke fluent Japanese. Unsurprisingly, he invited me to his house. Unsurprisingly, he showed me photos in Japanese military uniform, sang Japanese military songs and recited the Kyoiku Chokugo. The home altar showed the family was catholic. There was a Japanese bible and a hymn book in their native language but transcribed in katakana. I also saw a book of Bahai religion in Japanese. It was surprising how deep those Japanese missionaries of Bahai religion had penetrated!

After the festival I called a taxi to get back to the station. The same driver (Han Chinese) came. Instead of taking me to the station, she invited me to a dinner at her house. She said her mother spoke fluent Japanese and wanted somebody to speak Japanese with. She also insisted I taught some Japanese to her elementary school daughters. I politely declined because I had a train to catch and wanted to get back to Taipei. After a long period of futile persistence, she finally gave up. Instead, she stopped over at one of the most famous fried pork sparerib bento place and got me a dinner. She paid for it, of course. Plus, she probably gave me a discount on the taxi fare. I ate the bento in the train. Happy to know that Taiwan people haven’t changed a bit after all these years, reading all those posts.


DeepLによる無料翻訳:

フレンドリーな台湾人との経験を語り合う人々。私の投稿を紹介しよう。ある時、収穫祭で花蓮の先住民の村を訪れた。駅からタクシーに乗った。村に着くと、流暢な日本語を話す老紳士を紹介された。当然のことながら、彼は私を家に招いた。当然のことながら、彼は私に日本の軍服を着た写真を見せ、日本の軍歌を歌い、教育勅語を朗読した。家の祭壇を見ると、一家はカトリックだった。日本語の聖書と、カタカナで書かれた彼らの母語の賛美歌集があった。日本語のバハイ教の本も見た。バハイ教の日本人宣教師たちの浸透ぶりには驚かされた!

祭りの後、私は駅に戻るためにタクシーを呼んだ。同じ運転手(漢民族)が来た。彼女は私を駅まで送る代わりに、自分の家での夕食に招待してくれた。彼女の母親は流暢な日本語を話すので、一緒に日本語を話せる人が欲しいと言っていた。彼女はまた、私が小学生の娘たちに日本語を教えろと言い出した。私は電車の時間があり、台北に戻りたかったので、丁重にお断りした。無駄な粘りの末、彼女はついにあきらめた。代わりに、彼女は最も有名な豚のスペアリブ揚げ弁当の店に立ち寄り、夕食を買ってきてくれた。もちろん代金は彼女が払ってくれた。その上、タクシー代も安くしてくれたのだろう。弁当は電車の中で食べた。何年経っても台湾の人たちは少しも変わっていないことが分かって嬉しい。

Sunday, September 3, 2023

台湾語の呼称をめぐる論争

日本語という名前は良くないから、「やまと語」にしろ、「ジャパン語」にしろ、という人は多くないでしょう。でも台湾では、台湾語を何と呼ぶかについて、未解決の論争があります。

一般的に、一番良く聞かれるのは、「台語」です。運動家たちの間でも、これを支持する人が多いです。日本では、これを和訳して「台湾語」と言っているわけです。しかし、これを公式の呼称にするのには、主に客家人たちから根強い反対があります。人口70%を占める泉州・漳州系台湾人だけが、「台湾のことば」を独占することに異議があるからです。

国民党系がよく使うのは「閩南語」です。中国福建の南部地域との関連を強調できるからです。ただ、福建南部では他の言語もいろいろ話されているし、広東省の潮州語も同系統なので、正確性に欠ける、という意見があります。確かに、厦門語や台湾語だけを閩南語と呼べば、この地域の他の言語の使用者は不満でしょう。また「閩」というのは、北方漢民族から見たこの地域の住民に対する蔑称なので、使うべきではないという人もいます。

ちなみに東南アジアでは、イギリス人宣教師の伝統に従い、この言語を「福建語」と呼んでいますが、同じ福建でも閩東語(福州語)や閩北語は、全く通じない別の言語ですので、上記の問題が更に深刻なことになります。なお、台湾人の間では、東南アジアの「福建語」と、言語的に90%以上共通である自分たちのことばが同じである、という認識がそもそも薄いです。これは別のトピックですね。

民進党政権が妥協策としてよく使ったのが「台湾閩南語」という呼び方です。いろいろある閩南語のなかの、台湾で使われているもの、という意味で私もこれが妥当だと思いますが、台湾語運動家から根強い反対があります。言語というより政治的理由で、とにかく中国との関係を切りたいということでしょう。政府の「台湾閩南語検定」に対抗して、「台語検定」を立ち上げてしまった団体さえあります。(ちなみに、この人たちは、華語からの借用語を激しく糾弾するくせに、日本語からの借用語にはなぜかとても寛容です。)

最近では、「中国」語を避けるために「台湾華語」にしたし、「台湾客家語」もあるので、それに合わせて「台湾台語」にすることが正式に決まりました。しかし、この訳わからない呼称が定着する可能性は低いでしょう。

スペインでは、カタロニア語とかガリシア語とか伝統ある言語がいっぱいあるのに、王室がある場所で話されているということでカスティーリャ語だけを「スペイン語」と言っています。たった70%ぐらいの台湾人のエスニック言語であるこのことばが、「台湾語」と呼ばれる無茶を許容していく方向しかないのではないでしょうか?「批判的」言語学系のかたは不満でしょうが、多数派の言語がリングア・フランカとして機能し、少数言語話者がそれにシフトしていくことは世界でよくあることです。(敢えてそれに逆らったインドネシア語などもありますが、成功例は多くありません。)日本時代以前でも、台湾西部の平地では、異なる言語のコミュニティ同士では台湾語が使われていた形跡があります。平埔族の母語が台湾語になっている所以です。そういう意味で、台湾各地で泉州系と漳州系が混ざって成立したこの言語を、単に「台語」(英訳:Taiwanese Hokkien)とするのが得策なのではないでしょうか?